東京高等裁判所 昭和51年(ラ)152号 決定 1976年11月11日
当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり。
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人らの負担とする。
理由
第一本件抗告の趣旨は、「原決定を取り消す。相手方らは別紙第一物件目録(一)記載の土地上に建築中の同目録(二)記載の建物のうち五階を越える部分の建築工事を中止し、これを続行してはならない。訴訟費用は第一、二審とも相手方らの負担とする。」旨の裁判を求めるというにあり、抗告の理由は、抗告状におつて提出すると記載されているが、未だ提出されていない。
第二当裁判所の判断
一(抗告人らの眺望利益の侵害の有無について)
本件仮処分申請は、相手方らの建物建築によつて抗告人らの有する眺望権が侵害されるおそれがあることをその主たる理由とするものであるところ、疏明資料によれば、次の事実を一応認めることができる。
(一) 抗告人らはニチモプレハブ株式会社(以下「ニチモプレハブ」という。)が静岡県熱海市春日町五一番一宅地2091.03平方メートル上に建築した土地付き分譲マンシヨシ「熱海第一ビラ」(その規模、構造等は別紙第二物件目録(一)記載のとおりである。以下「第一ビラ」という。)について昭和四八年一一月一〇日に第一回売出を、昭和四九年七月二七日に第二回売出を行つた際、それぞれ右マンシヨンの南側棟の一階ないし五階にある各部屋(その建物の番号、床面積、売買代金は別紙第二物件目録(二)記載のとおりである。)を前記宅地の持分権とともに買い受けて、所有権を取得した。
(二) 抗告人らの大部分は各種の職業に従事する者であるが、抗告人らが各部屋を買い受けた目的は、主として自己及び家族あるいは従業員らの保養施設として使用するためであり、更に老後ないし停年後の生活の根拠を用意しておくという者が若干名含まれていた。
(三) 第一ビラの所在地である前記宅地は、国鉄熱海駅の南東方約三二〇メートルの距離にある高台の南面中腹に位置し、第一ビラの南側各階からは、錦が浦、熱海城、相模湾の近景を視野に納めることができ、熱海市内の一部の夜景も観望することができた(もつとも、視野の上下の範囲は第一ビラの階層が下るに従つて狭まる。左右の範囲については後述する。)。
(四) 相手方藤田観光株式会社(以下「相手方藤田観光」という。)は、第一ビラのほぼ真南にある別紙第一目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)上に同目録(二)記載の建物(以下「本件建物」という。)を建築する計画を立て、昭和五〇年九月一一日建築確認を得、相手方株式会社竹中工務店に右建築工事を請け負わせ、現に右建築工事を継続中である。
(五) そして、本件建物が完成することにより、抗告人らは錦が浦、熱海城の眺望の全部、相模湾の近景の眺望のかなりの部分を阻害されることとなる。
以上のとおり認められる。本件建物の完成によつて大島及び伊豆半島の遠景及び初島の観望が失われるかどうか、またそれが失われるとしてもどの範囲の抗告人らについてであるかは明瞭でない。
二(被保全権利の存否について)
(一) 抗告人らは、上記事実関係に基づき、相手方藤田観光の本件建物の五階以上の部分の建築により抗告人らの有する眺望権が侵害されるおそれがあるので、右部分の建築の排除を求める請求権があると主張する。
そこでまず、抗告人らの主張するような眺望権を肯認することができるかどうかを考えるのに、およそ風物が眺望価値をもつとされるのは、その風物がこれを観る者に美的満足感や精神的休らぎ等を与える点において人間の生活上少なからぬ意義ないし価値を有することに基づくものであるが、このような眺望自体のもつ一般的、抽象的な価値は、具体的場合にこれと結びつく生活関係のいかんにより、ある場合には経済的価値として、ある場合には社会的、文化的価値として、またある場合には日常生活の次元における私的価値としてとらえられ、そのそれぞれに応じて異なつた性質、内容のより具体的な利益を形づくるものである。それ故、これらの利益に対して、法的見地から、いかなる場合に、どの程度の、またいかなる態様の保護を与えるべきかについても、右のような利益の具体的な性質、内容に応じて、それがもつ社会的意義ないし価値を評価し、これと競合する他の価値ないし利益との関連においてこれを決定しなければならない。
ところで、本件で問題とされている眺望利益なるものは、個人が特定の建物に居住することによつて得られるところの、右建物の所有ないしは占有と密接に結びついた生活利益であるが、もとよりそれは、右建物の所有者ないしは占有者が建物自体に対して有する排他的、独占的支配と同じ意味において支配し、亨受しうる利益ではない。元来風物は誰でもこれに接しうるものであつて、ただ特定の場所からの観望による利益は、たまたまその場所の独占的占有者のみが事実上これを亨受しうることの結果としてその者に独占的に帰属するにすぎず、その内容は、周辺における客観的状況の変化によつておのずから変容ないし制約をこうむらざるをえないもので、右の利益亨受者は、人為によるこのような変化を排除しうる権能を当然にもつものということはできない。もつとも、このことは、右のような眺望利益がいかなる意味においてもそれ自体として法的保護の対象となりえないことを意味するものではなく、このような利益もまた、一個の生活利益として保護されるべき価値を有しうるのであり、殊に、特定の場所がその場所からの眺望の点で格別の価値をもち、このような眺望利益の亨受を一つの重要な目的としてその場所に建物が建設された場合のように、当該建物の所有者ないし占有者によるその建物からの眺望利益の亨受が社会観念上からも独自の利益として承認せられるべき重要性を有するものと認められる場合には、法的見地からも保護されるべき利益であるということを妨げない。しかしながら、このような法的保護に値する眺望利益といえども、前述のように、本来当該建物の所有者ないし占有者において常に完全な形でその亨受を要求しうるものではなく、他の競合利益との調和においてのみこれを容認せられるべきものであるから、右の眺望利益に対し、その侵害の排除又はこれによる被害の回復等の形で法的保護を与えうるのは、このような侵害行為が、具体的状況の下において、右の利益との関係で、行為者の自由な行動として一般的に是認しうる程度を超えて不当にこれを侵害するようなものである場合に限られるものと解すべきである。そして、特定の侵害行為が右の要件をみたすかどうかについては、一方において当該行為の性質、態様、行為の必要性と相当性、行為者の意図、目的、加害を回避しうる他の方法の有無等の要素を考慮し、他方において被害利益の価値ないしは重要性、被害の程度、範囲、右侵害が被害者において当初から予測しうべきものであつたかどうか等の事情を勘案し、両者を比較考量してこれを決定すべく、なおその際には、眺望利益なるものが騒音や空気汚濁や日照等ほどには生活に切実なものではないことに照らして、その評価につき特に厳密であることが要求されるといわなければならない。
(二) 右の見地に立つて本件をみるのに、疏明資料によれば、一応次の事実が認められる。
1(1) 抗告人らの居住する第一ビラは、前述のように、熱海市内からの風景の観望上恰好の位置にあり、同建物が建設せられ、抗告人らが各その一室を買い取つてこれに入居したことについては、温泉利用や附近の散策のほか、各部屋からの風景の眺望を擅にすることもまた、その重要な目的の一つをなすものであり、本件建物の五階以上の部分の完成によつて右眺望の一部が失われることは、さきに述べたとおりである。
(2) しかしながら、抗告人らの第一ビラ入居開始日は昭和四九年一一月一日であり、抗告人らが第一ビラの各部屋の使用を開始してから現在までの経過期間はせいぜい二年程度である。しかも、右建物の各部屋は、抗告人らの前示使用目的の性質上、その現実の利用がきわめて限られており、相手方側が、昭和五〇年一一月七日から同年一二月二二日までの四六日間に亘り、各日の午後九時の時点における点灯の有無によつて調査した利用状況をみると、使用可能延日数一〇一二日(四六日×二二(室))中現実に使用されたのは延七七日であり、使用比率7.6パーセントにすぎない。一〇一号室に住所があるとされている抗告人小林きえいすら右調査期間中使用したのは一〇日以内というのであつて、これが実際の使用状況を正確にとらえたものでないとしても、使用頻度が比較的少ないものであることを窺わしめるに足りるのである。してみると、抗告人らが本件建物の建設によつて上記眺望利益の亨受についてこうむる被害の程度は、それほど大きく、かつ、切実なものということはできない。
(3) 次に、本件土地一帯は、近隣商業地域、準防火地域、容積率五〇〇パーセント地区に指定され、近辺には第一ビラと同様眺望を目的の一つとする高層建物が多数建築されており、現に本件土地の東側隣地にはホテル池田が、西側隣地にはホテル暖海荘の各建物が存在している。しかもホテル暖海荘の東寄り(本件土地寄り)部分の屋上高は海抜62.52メートル(塔屋部分を加えると72.20メートル)であつて、ホテル池田(海抜61.92メートル)より高く、本件建物(海抜64.50メートル)より1.98メートル低いだけで、本件建物とホテル池田、ホテル暖海荘との高低差は一階分ないし半階分しかなく、前述の第一ビラ南側棟一階ないし五階の各部屋からの眺望も、向つて左はホテル池田、向つて右はホテル暖海荘の各建物によつて既に大きな枠がはめられる形となつているのである。第一ビラは、右のような土地利用状況の下において建築されたものであり、したがつて、右建築者及び建物各室の取得者らは、附近において同様な高層建築の可能な土地上には近い将来においてこのような建物が建設せられ、自己の亨受する眺望利益の内容に変動が生じうべきことを予測しうるような関係にあつた。しかも、後述のように、ニチモプレハブにおいて、第一ビラの売出前に相手方藤田観光の求めによつて購入希望者らに対し本件建物の建築予定についての告知がされた事実も存するのである。
2(1) 本件土地は相手方藤田観光創立にゆかりのある藤田一族が多年保有していた土地であり、相手方藤田観光は昭和四八年一月一二日前所有者藤田トミから本件土地を取得し、同年七月一〇日熱海市土地利用委員会に対し必要書類を添えて同市宅地開発指導要綱に基づく事業計画の承認を願い出て、次いで昭和五〇年三月二六日本件建物の建築確認を申請し、同年九月一一日建築確認を得た(抗告人らが主張するように、相手方藤田観光が熱海市による厳格なマンシヨン建設規制の実施を目前にして右規制を回避するため、いわゆるかけこみ申請をしたとの点を肯認できる資料はない。)。
(2) 相手方藤田観光は、昭和四八年一一月のニチモプレハブによる第一ビラ第一回売出の前である同年八月中、ニチモプレハブに対し、第一ビラの購入希望者に本件建物建築の予定があることを周知させるため、本件土地上に建築予定地の看板を立てることを提案したが、ニチモプレハブの容れるところとならず、その代りに、ニチモプレハブが売出時にその旨の説明をすることを約束した。そして、ニチモプレハブは、前記第一回売出時には、相手方藤田観光から交付された資料に基づき、購入希望者が一堂に集つたところで本件建物建築の予定を説明したが(但し、本件建物の規模についてどの程度説明したか明らかでない。)、第二回の売出時には右説明を行わなかつた。そして、抗告人橋本秀太郎、同橋本寛裕、同落海為二、同あきら有限会社、同小林哲夫、同小林悦子、同小川七郎、同赫多正順、赫多由紀子は第一回の売出時に各自の部屋を買い受けたものである。
(3) 相手方藤田観光は本件土地の南側にある熱海市東海岸町四一番の二、七二番の二、四、一一、一二の各土地、面積合計3836.95平方メートルを所有しているが(七二番の一二以外の土地については昭和四八年三月二六日買受、同年四月二七日登記、七二番の一二土地については同年一月一二日買受、同月二六日登記)、相手方藤田観光は右土地にホテル等を建築する計画を有し、簡単に右土地を本件建物の敷地として転用することができない実情にあつた。
(4) 本件建物は一〇階建であり、もし六階以上の建築が差止められるとすれば、相手方藤田観光は四〇パーセントの部分の建築を断念せざるをえず、それによつてこうむる損失は少くない(因みに本件建物の分譲価格は一部屋が金三〇〇〇万円から四五〇〇万円である。)。
このように認められる。
(三) 以上のとおり疎明された事実に基づいて判断するのに、まず本件建物の建築によつて抗告人らの眺望利益が受ける被害はさきに述べたとおりであつて、その程度と重要性においてそれほど甚大かつ緊切なものとは認められない。他方、相手方藤田観光の本件建物の建築は本件土地一帯の地域の特殊性に徴すれば、その所有する本件土地利用の一型態として、一般的に容認される目的と態様を超えた不当性を有する建築であるということはできず、また、建物の建築自体は、建築確認を経た適法なそれである。のみならず、相手方藤田観光がニチモプレハブをして、第一ビラの購入希望者に対して本件建物建築の予定を説明することを約束させた経緯は、同相手方に抗告人らの眺望利益侵害の害意がなかつたことを推測させる(第一回売出時に各部屋を購入した前記(二)2(2)の抗告人らは本件建物建築の予定を知つていたはずである。問題はニチモプレハブがどの程度の説明をしたかにあるが、この点は疎明上明らかでない。しかし、眺望の阻害が同抗告人らの予想を全く越えたものであると断ずることは、同抗告人らが疎明資料として提出した報告書中の反対の記載にかかわらず、やはり躊躇されるところである。)。これらの諸事情に前記(二)1の(3)及び2の(2)において述べたような予見可能性や告知に関する事実並びに2の(3)(4)において述べた諸事情を合わせ考えると、相手方の本件建物の建築は、本件の具体的状況の下において、土地所有者の自由な土地利用として是認しうる程度を超えて、抗告人らの法的に保護されるべき建物居住に伴う眺望利益を不当に侵害する行為に該当するものとは到底いうことができない。それ故、抗告人らの相手方藤田観光に対する眺望利益侵害に基づく差止請求権の主張は肯認することができず、相手方藤田観光の注文により本件建物の建築工事を請負い、これを施工している相手方株式会社竹中工務店に対する抗告人らの同様の主張もまた、採用できない。
(四) 次に、抗告人らのうち一階に居
住する者の日照権の侵害の主張についてみるのに、日照阻害の有無に関する当裁判所の事実認定は原決定七枚目表三行目冒頭から同一一行目末尾までと同一であるから、これを引用する。右事実によれば、抗告人中沢廣子方の日照阻害は受忍限度を越えるものでなく、その余の抗告人らについては日照阻害の事実がないことが明らかであるから、抗告人らの相手方両名に対する日照阻害に基づく差止請求権の主張は肯認できない。
三(結論)
結局、本件は被保全権利の存在につき琉明がないことに帰し、保証をもつて琉明に代えることも適当でない。また、抗告人らの予備的申立について考えるのに、抗告人らがその提示する金員の提供によつて相手方らが本件建物の五階以上の部分を建築することの禁止を求めうるとする根拠が何であるかは明らかでないが、その主張が、右建築の制限によつて相手方らがこうむる損害に対して合理的な金額の補償をすることにより、実体法上抗告人らの有する眺望権に基づく右の侵害の排除権が肯定されるというにあるとすれば、当事者間の格別の合意によつてこのような条件の下における侵害避止義務が課せられる等の特段の事由のない限り、一般的に眺望権の内容として、他人の正当な私権の行使に対し、一定金額の補償を条件としてその避止を要求しうるとする実定法上の根拠を見出すことはできず、右の特段の事由については抗告人らにおいてなんら主張疏明するところがないから、抗告人らの右予備的申立もまた理由がないとしなければならない。
されば、抗告人らの本件仮処分申請をいずれも棄却した原決定は相当であつて、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、抗告費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり決定する。
(中村治朗 蕪山厳 高木積夫)
当事者目録
抗告人 小林きえい
外二九名
以上三〇名訴訟代理人 小坂嘉幸
相手方 藤田観光株式会社
右代表者 小川栄一
外一名
右両名訴訟代理人 本林徹
外五名
第一、二、物件目録<省略>